「平群のまつり」 とは_

About the event

五穀豊穣を祝う「平群天神社祭礼」は、平群の各地区から選ばれた氏子が白丁(はくちょう)という白装束に烏帽子という衣装で行う「神輿渡御」から始まります。
神輿は天神社社殿を3周してから鳥居をくぐり御仮屋に向かいます。


御仮屋がいつ造営されたかは不明ですが、祭礼の初めは氏子の村長(むらおさ)たちが提灯を持ち寄り献灯したと言われ、後に大名行列あるいは獅子舞、神楽、棒術等の奉納演技が行われたと伝えられています。


江戸時代の終わり頃伊勢参りに行った米澤村(現在の米澤地区)の人達が、京都に立寄り豪華な山車を見て帰り、青竹や和紙などで形を作り、燈心の火あかりで担ぎ廻ったのが「担ぎ屋台」始まりと言われ、神輿とともに御仮屋へ献灯するようになり、現在も引き継がれています。

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平群囃子

「平群のまつり」と言えば「平群囃子」♪


詳細は不明ですが、米澤地区が発祥の地と言われており、現在では房総半島の各地域の祭礼でも奏でられています。


曲目は、さんぎり・馬鹿囃子・はや馬鹿・住吉・国調・祇園囃子・祇園くずし・須賀・亀山昇殿など数多くありますが、地区により多少アレンジされたものもあるようです。

また山田区には、永久保存のために「平群囃子保存会」があり、継続して活動しています。

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打上げ花火

平群の花火の起源は、200年ぐらい前と伝えられています。


宝暦2年(1752)に亡くなった下総国相馬郡米之井村(現在の香取市米野井)に住んでいた新助が、回国巡礼の途中この地に立ち寄り、花火の製法から打上げまで伝授したのが始まりです。
当時花火の打上げは下村・中村(現在の平久里下・平久里中)の競演となり、門外不出の秘伝として受け継がれました。そのため婿入りなどで他の村へ秘密が漏れないよう、火薬の調合等花火の製法は長男にしか教えられませんでした。


花火玉は重さが10kgほどあり、それを200m以上の高さまで打上げます。そのための打上げ筒は長さが約7m、末口0.5mで、これを作る原木は真っ直ぐな巨木で、松、樫、榧(かや)などが使われていました。残念ながら現在は花火の製造は中止しており、市販の業者花火が使われています。当時使用されていた花火の打上げ筒は、今も平群天神社の境内に置かれています。

【千葉県無形民俗文化財】

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「赤い布かけさんまのひもの 平久里天神郷で釜こする」

この俚謡(りよう)は、昔から歌いつがれる平久里の祭りの情景を歌ったものとも言われています。


若い女性が髪に赤い手絡(てがら)をかけ、秋刀魚等の馳走をし、なお釜を洗って次の飯を炊くという、昔の山村の生活が目に浮かびます。


俚謡:地方で歌われる歌
手絡:日本髪で髷(まげ)の根元にかける飾りの布